73年前の昨日、長圓寺や真福寺への2回目の空襲(爆弾150発)がありました。
同じ日
砂川3番の北、金毘羅橋からまっすぐ北上した場所にあった
東京陸軍航空学校(陸軍少年飛行兵学校)では
機銃掃射で19期生の4人と、炊事班の18歳の女性1人が死亡しています。
この写真の下側が東京陸軍航空学校(東航)です。
左上の方は所沢陸軍航空整備学校立川教育隊で
その間の空き地がグライダーの授業をしたグラウンドになります
左端に少しだけ陸軍病院が写っています
この東京陸軍航空学校(東航)は、昭和13年に作られ、全国から飛行兵をめざす少年
たちを受け入れていきました。
昭和13年の第一期生550人は全国26000人からの選抜だということです。
その55% 292人が戦死しています。
卒業生全体では4606人が戦死
特攻隊として亡くなられた方は457人です
今はすっかり住宅地になってしまい
市が建てた石碑と
説明の立て札がなければ
この場所に そんな学校があったことは 歴史の中に埋もれてしまいそうです
私自身、子どもを保育園に迎えに行っていた12年間、いつもこの道を通りましたが
なんで「東航通り」っていうのかなあ と思いながらも 学校についてはごく最近まで
知りませんでした
カフェを始めて、「三ツ藤の名の由来」を調べなければ
自分の地域の歴史について
詳しく知らないまま過ごし続けたと思います
知っていたからって 何か急に変わるわけではないですけど
でも、知っていた方が いいですよね