五軒家

先日 カフェにいらっしゃった 立川市栄町の人たちの会話です

 

「引っ越して来た時、ああ”川底”の人ね って言われたのよね」

 

「子ども達が ”五軒家”に行ってくる って言うんだけど、

五軒家ってどこ?って思った」・・

 

 

 

 

「五軒家」 ・・ はじめて聞きます

 

 

 

「五軒家」へは、Tさんも 子どものころ

カブトムシやクワガタを 探しに行ったそうです。

 

 

 

 

立川市発行の『立川変遷地図集』を借りてきたら

 

 

111ページに 五軒家が載っていました

大正5年の地図で 宮崎家所蔵のものです

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上谷保新田の別名が 五軒家で

今の 弁天八幡宮から 都立ろう学校の南あたりになります

 

谷保(国立)から 入植したところなんですね

 

弁天通り沿いには 中藤新田があり、

こちらは武蔵村山から入植したところだと思います

 

 

 105ページの 「砂川町全図」を見ると 中藤新田に重なるように

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ハケ上、ハケ下とありますから、

ここに 川底 という別称が生まれたみたいです

 

 

 

ところで 大正5年の地図上には 四軒屋とか、八軒という記述もあります

 

 

つまり、この辺一帯は 

明治から大正にかけてのフロンティア だったんでしょうね

 

 

銀の匙』の八軒君も 先祖は入植者だったのでしょうか 

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『立川の地名―立川編』では

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七軒屋という記述もありました

いまの高松町1・2丁目あたりらしいです

 

 

 

 

『立川の地名―立川編』には 「五軒家街道」という記述もありました

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どの道のことなんでしょうね

 

 

 

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ネットで調べてみたら 「五軒家」は全国にありました

 

日本全国 入植の歴史 があったってことですね

 

 

 

さらに調べていたら 埼玉大学の人文地理学研究室 谷さんという方が

「今昔マップ」という すぐれものを作っていました

 

立川の 五軒家もちゃんと出てきます 

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これは 明治2年のものです

 

ネットって すごいですねー

 

 

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こうやってネットでいろいろ わかってしまうと

 

「別にー 図書館いらないじゃん」と 思ってしまいがちですが

 

本当は いまの日本の状況こそ、図書館の機能が必要とされているんです

 

 

アメリカの独立の際、そしてアメリカが発展していくときに 

図書館が果たした役割・・

 

アメリカを構成するひとつの原点 ともいえる図書館について

いまの トランプ大統領は ほとんど、何も分かっていない!

 と、思っていますが 

 

日本では それよりずっと早く

図書館の空洞化が 進んでいます

 

 

武蔵村山でも いま図書館の指定管理化が話しあわれていますし 

これから先 しばらくは 図書館にとって冬の時代という気がします

 

 

たしかに 効率化は とても大事ですけど

図書館本来の 人と情報を繋ぐ機能

とりわけ 子どもたちへと繋ぐ 機能も

大事にしてほしいです

 

 

 

 

参考文献

『立川変遷地図集』昭和53年 立川市教育委員会

『立川の地名―立川編』 保坂芳春著 昭和63年 立川市教育委員会

『砂川町全図』昭和38年ころ 砂川町農業協同組合

銀の匙』 荒川弘 2011年~ 小学館 少年サンデーコミックス

今昔マップ http://ktgis.net/kjmapw/