「写真家ユージン・スミスの戦争」という番組を放送していました
以前に放映したものの 再放送みたいですが
現地で写真を撮っていたこと、
軍隊的な視点ではなく、戦時下に 「そこ」にいる
民衆や兵士個々人に焦点を当てていたこと
戦意高揚につながらない写真は 公表されなかったことなど
いろいろなことがわかりました
さて、そのアメリカが 連合軍として日本に進駐し
数年にわたって「言論統制」を行ったことは 前回少し書きました
戦前からの 軍国主義的な思想が 突然なくなるわけはなく、
昨日まで敵同士だった人々のいる地に
「鬼畜米英」とされていた自分たちが 進駐するわけですから
反アメリカ的な言動に とても過敏だったのは
しょうがないとも言えます
でも、「検閲局」を作ってはみたものの
日本語に堪能な検閲官は ほんの少数だったので
ほとんどが 英訳された要約や 絵で判断されることが多かったようです
たとえば、ある絵本は 万国旗が描かれていたので 発禁になっています
敗戦国の日本と戦勝国の旗が同列に並んでいるものは
「占領体制への不満表示」 にあたるということです
一応、「軍国主義的なもの」 とか
「原爆に言及しているもの」 とか
「検閲の存在に言及しているもの」 とか
一定の基準はあったみたいですが
英語に翻訳する 検閲補助官の自主規制だったり
人によって変わる部分が多かったようです
いわさきちひろの作品が 一度、発禁処分になったのですが
根拠を問いただすと その上司がきちんと作品を見て絶賛し
GHQの おすすめの作品リストに入った という話もあります
実際には、発禁までいかず、文章表現にクレームがつくことが多く
その部分を削除したり 検閲受けする文章に改変したりして発行する
ということが 日常的に行われていました
当時は 紙の配給制度があって
にらまれると 出版社として たちゆかないので
自主規制がいっぱいあったのです
今で言う「忖度」の時代だったんですね
これはみな 下の本からの受け売りですけど
この本を書いた谷暎子さんは 1936年生まれで
1995年、ほぼ60歳になってから
2004年、68歳まで 児童書の目録作りを進めました
その後も 北海道の児童文学、絵本などの研究を続けている
とっても 偉い人なんです
北海道の出版物から類推すると
プランゲ文庫が カバーしている児童書は半分くらいということなので
この時代の作品群には、人知れず埋もれてしまったものや
日の目を見ないものが たくさんあるんでしょうね・・