今から30年以上前 武蔵村山に越して来た時
家の周辺に 「伊奈海道と呼ばれる雑木林」がありました
その理解は、三分の一くらい正しくて
三分の二は違っていたのですけど
その話をする前に
「海道」という言葉について 整理しておかないといけません
昔から「五畿七道」というのがありました
略図をかくと
畿内を中心として 東側に三道、西側に四道です
この場合の「道」は、街道ではなく
街道がつないでいる「地域」を意味します
というより、畿内から見た 「どっち方面」
という 大ざっぱな呼び方ですね
東の海の方=東海道
東の山の方=東山道
というかんじです
九州なんか まとめて「西海道」とされていますし、
四国は いまの和歌山と合わせて「南海道」です
久保田香里さんが
古代の街道に設けられた駅家の娘の話を書いていて
『駅鈴 はゆまのすず』2016 くもん出版
とっても面白かった という記憶だけあるのですが
近江の国が舞台なので 東山道沿いだったのかなあ
このころの主要道は、なんといっても山陽道で、
太宰府まで大路が続き、駅ごとに馬が20疋いたそうです
ということなので
主人公「小里」のいた駅は小さかったような気もするし
もしかすると北陸道かも・・
で、話を元に戻すと、江戸時代には「街道」という言葉は 一般的でなく、
いまなら「・・街道」と呼ばれる道路も、「・・道」
あるいは「・・往還」、「・・道中」という言い方だったようです
先の「江戸街道」も 江戸時代の絵図では「江戸道」です
といって、「街道」がまったく使われなかった
ということもないのですけど その場合でも
「海道」と、「海」の字を使うことが多かったとか・・
なので、
「海道」という時、
「北海道」みたいに 地域の広がりをさす場合と
「街道」としての 道を表す場合の
二通りがあるということを押さえて 今日はここまで
おまけ
1716年に新井白石の意見を取り入れて「中山道」に統一されましたが
そのときの幕府のお触れが「山」は「セン」と読むべし
ということで、
「山陽道」は「センヨウドウ」
「山陰道」は「センインドウ」
になってしまったとか
ほんとかなあ・・