昨日書いた 消防署から (庚申塔が正面に写っています)
砂川三番へと向かう古い道は、
三ツ藤住宅の南側を通っています
左側が 高くなっているのがわかるでしょうか
三ツ藤住宅は高台にあるのです
先日、カフェにいらっしゃった方が
うちのほうは昔 「さかした」って呼ばれていたのよね
と、おっしゃっていました。
三ツ藤住宅は、「さかうえ」なんです
そういえば、以前 立川の栄町からいらっしゃった方も、
国分寺崖線の上にある けやき台団地側からは「かわぞこ」
と呼ばれていたって 言ってましたっけ。
でも、三ツ藤住宅の坂のほうは
長いこと 「立川断層」のせいだと 言われてきました
1998年の駒澤大学の「駒澤地理no.34」に、
角田清美という方が「立川断層についての新たな知見」という
論文を載せています
三ツ藤住宅周辺は、過去の地震によって3.2mの変位を受けているそうです
三ツ藤周辺の高低差は、下図の 下の方の線で断面図を書くと
こんなかんじになるそうです。 (みんな駒澤大学の資料から)
早い話が、三ツ藤の「さかうえ」と「さかした」の間には立川断層があり、
この立川断層、当分は活動しそうにないけど
いつ活動するかわからないから
注意は しといてね
と、ずっと言われていたのです
ところが
平成24年から 文部科学省が実施した調査で
大規模に日産の跡地を掘り返してみたところ
立川断層は存在しないようだ・・ という結論になったのです
広報たちかわの2015年6月25日号でも
こんなふうに載っています
「立川断層」と思われていたものは 河川の浸食崖だった
可能性が高いそうです
すると、この立川断層と思われていた高低差を作ったのは
残堀川だったのでしょうか?
残堀川ってエライじゃん! と思いましたが、
いま、ちょろちょろ流れている残堀川を見ていると
とても そこまでのパワーはなさそうなので
しばらくのあいだ 少し南に位置をずらし
その時に削れた崖線の縁を 残堀川が流れるようになった
というのが真相かなと思います
とにかく、よかったよかった
立川断層じゃなかったんだ
三ツ藤の段差は、ただの河岸段丘だー
と思って、先の立川市の広報をよく見ると・・
あれ?
確実に活断層がある ことになっています。
いろいろ調べてみると
立川断層(33キロ)は なかった。
箱根ヶ崎断層(12キロ)があるだけ
というのが いまの常識らしいですが
この箱根ヶ崎断層の南端って
三ツ藤住宅にかかっているようにも見えますよね
やっぱり、
この段差は 箱根ヶ崎断層と関係があるのか
ただの河川の浸食によるものか 謎のままです・・