マクブルームさんのすてきな畑

先日、sassy14さんがカフェに来てくださったとき

 

昔のことを書いた記事も とっても面白いです

と、ほめられ?てしまいました。

 

へへっ

 

 

・・そういえば、

最近 昔のことを書いていないです

 

 

引又街道のはなし その2とか

江戸街道の話 その5とか

 

 

いろいろ構想はあるのですが

説明する写真を撮らないといけないので

ほったらかしているんです

 

でも、あまり間隔があくと

わからなくなってしまいますね

 

調べていて、

へー とか ホ― とか

思うことがたくさんあるので

どこかで、少しずつ書いていきたいです

 

 

とりあえず、今日は憲法の日

 

憲法と 直接の関係はありませんが

 

東京陸軍少年飛行兵学校の跡地の話を

少し書いておきます

 

 

 

戦後、進駐軍は 各地の軍事施設、主要な建物を接収しました

 

このへんでは、立川基地はもちろん

福生飛行場(今の横田基地)や

大南の陸軍少年飛行兵学校、

東大和の日立航空機工場など・・

 

武蔵村山の横田にある 織物組合の建物も

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接収されて、ダンスホールとして使われたそうです

 

 

必要でなくなったものは 順次返還されていくのですが

 

陸軍少年飛行兵学校の跡地15万坪や その周辺は

戦後の農地改革?の一環として払い下げられ 

数百人の地主(中藤の人が多かったみたい)に分割されました

 

 

ところが、全員が農業で暮らせたわけではなく

空き地のままのところもたくさんあり

 

広大な敷地には、昭和30年ころから

多摩各地のし尿が投棄されるようになりました

 

昭和36年6月22日の読売新聞によると

一日300トンのし尿が 武蔵村山に運び込まれています

 

一年にしたら1万トンです

 

毎日 これだけのし尿が運び込まれるので 

住民は悪臭や ハエの大群に悩まされ

 

やがて し尿投棄を禁止しようという話がでてきました

 

 

そのためには 団地を誘致する!

 

という動きができ、

関係機関にいろいろ働きかけていきます

 

最初に投棄を止めたのは、立川市ということです

 

投棄が終わり、

村山団地の建設も決まり

 

紆余曲折があって

41年に村山団地が完成します

 

4月以後 団地の入居がはじまり

42年には三ツ藤住宅などもできて

 

武蔵村山の人口はあっという間に 

二倍にも三倍にもふくらんでいきました

 

かって、し尿投棄の場所だった

という歴史は忘れ去られ

 

 

整然とした団地と 住宅街に

変貌したのです

 

 

 

 アメリカの話で

『マクブルームさんのすてきな畑』という本があります

 

マクブルーム一家が 食い詰めて西部に行く途中、だまされて

アイオワ州で買った1エーカー(1200坪)の土地が

実は 周辺にあった広大な湖の肥料分が凝縮したところで

種をまくと 夕方には作物が採れるという

とてつもなく肥沃な土地だったという話なのですが

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多摩各地のし尿を 長年埋めてきた場所も

もう50年たつし しっかり分解されて

とっても肥沃な土地になっているはず。

 

畑として使わないのは もったいないです・・

 

 

でも、し尿を投棄した場所は

具体的な情報が明らかになっていないので

今では どこだかわかりません

 

なので

大南や緑が丘を通るたび

驚くほど成長している作物はないかと 

畑や庭の作物につい 目が行ってしまいます

 

 

原題は 「McBroom's Wonderful One-Acre Farm」で
S・フライシュマン作  クェンティン・ブレイク絵
金原瑞人、長滝谷富貴子訳 あかね書房 1994です

 

訳者が二人いるのは 金原瑞人さんが訳したものを

長滝谷富貴子さんが 軽妙な関西弁に 訳し直しているためです