そこで、今日は新青梅街道を渡って、
神明社のわきを通っている引又街道を辿っていきます
この入り口の東側には 昔 馬頭観音があったそうです
今は 300メートルほど北に歩いた 道路わきに移動して
庚申塔と一緒に立っていました
庚申塔の方が古いみたいです
こちらが 馬頭観音です
樹齢数百年の木がいっぱいあったそうです
うっそうとした雰囲気だったらしいですが
いまでは 木がほとんどなくなってしまい
とても明るい場所になっています
唯一 社殿の横にあるこの木が
根元の大きなきのこといっしょに
時の記憶をとどめているかんじでした
神明社を過ぎると 道は 畑と住宅の間を進んでいきます
右側に見えるのが新青梅街道です
コメリの横に出て
その先はまた 畑と住宅街になり
右側に新青梅街道を見ながら進んでいくと
左側の土地が低くなっていました
この畑の向こう側には、野山北公園から流れ出ている空堀川があるのです
空堀川は、東大和市で 真福寺の北から流れてきた谷戸川ー奈良橋川と合流し
清瀬市で柳瀬川と合流して、最終的には志木市で新河岸川に流れ込みます
ルートは少し違いますが 陸の道、引又街道と
最終目的地は同じなんですね。
陸の道の方は だんだん南に寄り始め
靴の流通センターにぶつかって
その先はまた 新青梅街道の上です
たぶん この熱帯魚センターの前を通って
その先の 武蔵村山郵便局内のロビーを通りながら
この道へと続くのですけど
その先は 村山団地で途切れてしまいます・・
ああ、このむこうのどこかに引又河岸が・・
と言いたいですけど この先
真正面はどちらかというと池袋ですから
言うのはちょっと早すぎますね
古い地図で見ると、引又街道はこのあと
しばらく新青梅街道上を通った後
そのまま行くと田無に行ってしまいますが
すぐに左に分かれて(*) 八坂の駅周辺を通過し
東村山から北東に向かっていました
あちこちで寸断されているので
たぶんここだろう! というルートです
これから先 時間がたてばたつほど
いろいろなことが 実証できなくなっていくんでしょうね
(*)『道と地名と人のくらし』東大和市史資料編9の24頁