今日は雪。
自粛要請のせいか、家の前の道に人の姿はありません
表通りに出て、東と
西を見てみましたが
こちらもほとんど 人の姿はありませんでした。
みんな 自粛なんですね
近くの畑を見てみても
カラスたちの姿だけ。
カラスは自粛しても、お腹がすくだけですものね
家では 孫娘が
雪だるま?を作っていました
せっかく家にいるので 図書館から借りている本を
頑張って5冊読みました。
そのうちの4冊は うどの話です
いま、うどの生産量は 東京都が一番多くて
東京都の中では 立川市が一番なのです
カフェの畑を借りている 農家Ⅿさんも
『東京農業記2うど』 豊島小百合著 クオリ 1987より
うど農家として紹介されていました。
もともと日本全国 山うどは自生しているので
それぞれの地域で 昔からうどは食されていたみたいです
愛知や伊勢など関西の方では 古くから栽培もされていました。
江戸では、杉並の松庵あたりで栽培が試みられていたのでは
とされていますが、それが山野に自生したものを使ったのか
京都などから取り寄せたものなのかは はっきりしません
江戸で本格的に うどが作られるきっかけは
明暦の大火で焼け出された水道橋の吉祥寺周辺の人々が
新たに与えられた場所を開拓して 吉祥寺村を作ったことに始まります。
その人たちが 文化年間に本格的にうどの栽培を始めるんです
たぶん、近くの松庵で うどの栽培が試みられていたのと
関係があると思います
この「吉祥寺うど」は、明治のはじめには東京の特産品になっていて
その後も、昭和20年代まで 東京で一番の産地だったのですが、
昭和30年以後、うどの産地は次第に西へと移りはじめました
急激な都市化の荒波によるものです
この間、うどの品種も「所沢うど」から「寒うど」「極早生」
「愛知坊主」「伊勢白」「愛知紫」と、どんどん進化し
いまでは、「都」「多摩」に続いて
「芳香」といった品種が育てられているみたいです
この「芳香1号、2号」は栃木県の登録品種で、
うど農家は 一本300円で必要数をわけてもらい、
あとは自家増殖して毎年畑に植えているのだとか。
先に成立した農業競争力強化支援法8条4項では、
栃木県の優良な育種知見も海外の企業も含む民間に提供するとなっています。
やがて うども自家増殖禁止になって、
民間企業によるF1の品種、ゲノム編集の品種を
農家は高い価格で購入せざるを得なくなるときがくる
と、山田さんは警鐘を鳴らしています。
立川で作られている、「東京うど」や「立川こまち」の品種の
登録や育種権期間はどうなっているのでしょう・・