鷹ヶ峰御薬園

澤田瞳子さんの『京都鷹ヶ峰御薬園日録』を読みました。

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どちらも徳間書店

 

鷹ヶ峰御薬園というのは、徳川幕府直轄の薬草園で

1640年(寛永17年)に開設されています。

この当時、治療に必要な薬草に対する知識や

その薬草を安定的に供給するということが とっても重要だったんですね。

実際 多くの医者や本草学者が御薬園と関わっていて

鷹ヶ峰御薬園も 医学研究の一大拠点だったようです。

 

幕府直轄の薬草園は、鷹ヶ峰御薬園の2年前1638年に

江戸の麻布と大塚に作られています

でも、やがて大塚の方が廃止され、

麻布の方も1684年に小石川に移転してしまいました

なので、鷹ヶ峰御薬園は、

江戸時代で一番古い薬草園といっていいかもしれません。

 

この御薬園は代々 幕府の医官である藤林家が管理しているのですが

小説では、その藤林家に わけあって3歳の時に預けられた

真葛という女性が主人公です。

預けられた時が 浅間山噴火の年になっているので

たぶん 1783年(天明3年)のことです。

最初の話が始まるとき 真葛は21歳なので 逆算すると

1801年(寛政12、享和元年)頃が時代背景なんですね

 

物語は12話が2冊に収められていて

真葛の薬草に対する知識が軸になっています。

真葛の知識もすごいですけど、そういうことを考えつく

澤田瞳子さんが すごいです。

江戸時代の薬は、身の回りの草や木だったんだ

という発見もあれば、この時代に 長崎からカモミールなど

いろいろハーブ類も入って来たんだ

ということもわかります。

 

いま、鷹ヶ峰御薬園は跡地表示の案内しかありません。

2年くらい前までは かろうじて井戸が民有地に残っていて

保存運動もあったみたいなのですけど

すっかり更地になってしまったそうです

 

まあ、長崎の薬草園も跡地表示だけになっているみたいだし

政府が薬草を育てて管理する時代では もうないので

しょうがないのかも。

 

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アルが 食べたものを吐き戻して うちの薬草園?を漁っていました。

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そのとなりで、こんな花が咲いています

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アルは お腹の調子がよくないと すぐ草を食べるのですが

この花は趣味じゃないみたい。

以前、猫草を置いておいたら、一日に何度も食べては戻すので

いま、猫草は封印しています。

でも、アルのためには、お腹に効く薬草をなにか置いておこうかなと

漢方薬を調べてみたら

ゲンノショウコ、モッコウ、ショウキョウなどの根っこか

ケイヒ、ゴシュユ、オウバクなどの樹皮などが多く

葉っぱのものって ほとんどありませんでした。

 

唯一 センブリが 全草食べられるみたいです

ただ、千回振り出してもまだ苦い という苦みの王様ハーブらしいので

アルが食べるかどうかはわかりません

 

ただ、ネットで探しても

センブリの種は売っていませんでした。

なので、アルの薬草園は しばらくこのままです。

 

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保健所から 健康状態を入力するフォームが

昨日は送られてこなかったので

これはたぶん 完治したということだなと、

(完治したかどうかは、ほくんじょから確かめることは特にしないので

事故判断してくださいと言われているのです)

お借りしていたパルスオキシメーターを返すことにしました。

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本当は 中にたたんである封筒の中に入れて

郵便局に返せばいいらしいです。

ただ、今日は祭日なので、郵便局は月曜日にならないと開きません

郵便局に行くのも、保健相談センターに行くのも そんなに変わらないし

きっと量が足りていないはずなので、次の人に早く回さなくっちゃと

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返しに行ったら、

「保健所から療養終了の通知は来ましたか?」と言われてしまい、

通知は来ないことになっていると了解してもらうまでが大変でした。

みんな郵送で、直接返しに来る人が いままでいなかったってことですね