東京陸軍少年飛行兵学校(以下、少飛)の出身者や 少飛で働いていた人たちは
1963年 現地に70坪の土地を購入して戦没者の慰霊碑を建立しました。
除幕式には三笠宮崇仁が臨席し、全国から出身者や遺族1200人が集まっています。
その碑文です
以後「少飛会」が作られ、毎年この場所で慰霊祭を行ってきたのですが
今そこには この「揺籃乃地」の石碑だけが残っています
少飛会は、
慰霊を 「これからもずっと維持する」 ためには
どうしていくかを 考え、
当初は靖国神社に という話もあったようですが
職員会の元会長 宮崎氏の尽力もあって
1990年に 市内の禅昌寺に慰霊碑を 移転再建しました
その遷座式と28回目の合同慰霊法要には、遺族、関係者1260人が集まり、セスナによる
慰霊飛行も行われたそうです
建立の趣旨の石碑です
すぐ横に 少飛の校舎の配置図がありました
この配置図の左側、貯水場の南側に㋩となっている場所に
「翔」というお店があります
少飛で働いていたタカさんという方が、
少飛跡地の払い下げを受けて農地として耕していた池谷さんと結婚し、
各地から訪れる人たちの居場所として、
郷土料理店「翔」と、少飛記念館を敷地内に作ったのです
その後、記念館は敷地ごと武蔵村山市に寄贈して
歴史民俗資料館の分館になっています
「翔」の位置については
こういう地図もあって
どちらが正しいのか 今度、池谷タカさんに会えた時に 聞いてみたいです