伊奈石のはなし

雨、いっぱい降りましたね

先週のうちに にんにくを全部収穫しておくんだった・・

と 反省しきりです

 

でもまあ、しょうがないので

今週の木・金曜日 に期待!

・・梅雨の晴れ間になるという予報です

 

さて 雨でなにもできないので

(担当は明日の食材を収穫に行きましたが)

 

カフェのドリンクメニューを

新しくしよう としたら

撮りためた飲み物の写真はみんな

壊れたパソコンの中でした・・

 

 

なので、今日は 久々に昔のこと

 

「伊奈石」のはなしです

 

 

五日市町東部にある伊奈地区や、

横沢地区の山から切り出された 

粒の粗い砂岩は、伊奈石と呼ばれ、

柔らかく加工しやすかったことから、

石段、石臼や 石塔、板碑などに利用されました

 

(伊奈石を使った中世の板碑の分布図を

どこかで見かけた記憶があるのですが

見つけられませんでした。

これも 壊れたパソコンの中かも・・)

 

生産されたのは 中世から江戸時代の前半にかけてが多く、

江戸時代の後半には 資源的に枯渇したのか

ほとんど、切り出されていません

 

 

石切り場の多くは 

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武蔵増戸の西にある大悲願寺の北側がメインですが

南側の秋川沿いでも 掘られていました

 

 

横沢地区にある 石切り場には

戦車橋と呼ばれる橋があり

戦争末期に 戦車を隠す壕が作られています

 

 

この 伊奈地区から石を運んだ道は かって「伊奈道」と呼ばれており

箱根ヶ崎を超えて 埼玉へとつながる道や

武蔵村山の伊奈平を経て 引又街道へとつながる道

砂川を通る五日市街道も

みんな はじめは「伊奈道」でした

 

「五日市道」と呼ばれるようになったのは

石の産出量が減ってしまった以後のことです

 

柔らかい分、風化もしやすいことから

各地に残る 伊奈石製の石仏や板碑の文字の多くは

どんどん 判読できなくなっているそうで

 

いま、早急な保存体制が必要だとか。

 

 

 

 

そういえば、立川の阿豆佐味天神にある

この「唐子手水鉢」も 伊奈石製です

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と、となりに立っている、説明に書いてありました

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説明にあるとおり、

手水鉢の下にいる この人たちは

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「唐子」と、いうらしいです 

 

反対側を見ると

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こんなかんじですが、

唐子=中国の子ども というには なんか違和感。

 

子ども虐待だ~ という以前に

なんか おっさんぽいのです

 

どちらかというと 苦役を課している修行僧のイメージですね