自宅待機5日目

担当が陽性になり、その濃厚接触者として

自宅待機となり5日経ちました。

今日のニュースで、自宅待機期間は10日から7日に短縮される

といっていたので、喜んで見ていたら

なんと、濃厚接触者は、同居している陽性者が完治してから

さらに一週間 自宅待機なんですね。

ということは、少なくともあと12日 自宅待機ということです。

農作業もないし、なんかとっても退屈しそう・・

 

朽木祥さんの『月白青舟山』を読みました。

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岩波書店 2019

夏休みに 鎌倉の大叔父さんに預けられた 兵吾と主税の兄弟が

地元の少女とともに 時間がとまった谷に迷い込み、

その謎を解き明かすという物語です。

ベースには、木曽義仲の子ども 義高と、

源頼朝の長女 大姫の 幼い恋物語があります。

 

頼朝に追われた12歳の義高は、鎌倉街道を北に逃げ

府中、東村山、所沢を通って入間川を渡ったところで

追手に討たれてしまいます。

なんで 北に逃げてきたかというと、

もともとは、義仲の父、義賢が埼玉の比企郡に館を構えていたんです

(いまの嵐山町

それを、頼朝の兄 義平が急襲して殺してしまうのですが

当時2歳だった駒王丸は 畠山重能らに匿われ 密かに木曾に逃れて

後の義仲になるんですね。

なので、義高もこの畠山家を頼ろうとしたのかもしれません

 

でも、この畠山重能は、桓武平氏の流れをくむ秩父氏の一族で

京都にいて、頼朝と敵対した人です。その子の畠山重忠

当初は頼朝の討伐隊に加わっていて、三浦家の当主を殺害したりしています。

頼朝が千葉で挙兵すると降伏して軍勢に加わり、

のちに御家人となるのですが、イマイチ信用がなかったみたいで

もし、義高が嵐山まで逃げ延びても 匿ってくれたかどうかはわかりません

 

それにしても、この当時の源氏の家系図を見てみると

源頼義以後6代にわたる35人の中で 戦死した人が10人(配流含む)

もいました。激動の時代だったんだなあと思いますが

それ以上に、一族の抗争で殺された人は17人もいたのです。

頼朝なんか5人を殺害しています。

頼朝が殺したのは身内ばかりではなく

畠山家とともに帰順した河越氏などは 親子ともども誅殺されていますし

義高の首を取った武将なんか、殺害を命じられていたのに

鎌倉に帰った後に殺されています。

なんてむごいと周りから言われた頼朝が、

殺害は部下が勝手にやったことにしたんですって。

 

いまから800年ちょっと前の出来事です