今からちょうど50年前 担当が三ツ藤住宅に引っ越して来た時の住所は
担当の記憶によると、
東京都北多摩郡 村山町大字中藤 字アタゴ松○○○○
だったそうです。
バスの便も悪く、朝夕は渋滞して 立川駅まで1時間近くかかることもよくあったとか。
ふうん
「字」が二つもついています
三ツ藤住宅の歴史を調べてみようと 近くの図書館に行きました
「三ツ藤」の命名の由来が 三ツ木と中藤にまたがっていたから・・
という説が 正しいのかどうかも確かめないといけません
でも・・
『村山町史』には
まったく載っていませんでした。
『村山市史』は
1966年(昭和41年)に入居が始まった都営村山団地のことばっかりで、
下巻の585Pに 「三ツ藤住宅、中藤第一団地などが設立され・・」と
わずか1行触れられているだけです。
うーん、こういうのって、どうやって調べるんだろう?
議会の議事録を見るといいのかなあ?
村山の古い地図も調べてみないと・・
やっぱり、中央館的役割を果たしている雷塚まで行かないとだめかなあ・・
そう思いながら『村山市史』を読んでいたら 結構面白いので
つい借りてきてしまいました。
今日一日読んでいます
30年以上住んでいる場所なのに 知らなかったことだらけです
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ポスティングをしていて発見したのですが
「三ツ藤住宅」のバス停の裏に 小さな公園があります
名前は「アタゴ松児童遊園」
本当に小さな公園ですけれど
昔の地名を かろうじてとどめている場所かもしれません
PS
村山村が 村山町になったのは昭和29年(1954年)の11月。
シャウプ勧告を受けての「町村合併法」施行期間中のことで
「北多摩郡最後の村が3日、町制を施行」と、新聞に報じられています
この時期、多摩地域では調布、府中、昭島などが 合併により 市制に変わっています。
昭島市(昭和29年5月)は 昭和町と拝島村が合併しているので
名前は、それぞれから一字ずつ採ったみたい。
同じ年、山形では1町5村が合併して 村山市ができていました。(1954年11月)
私たちの村山町が 市になったのは 26年後の昭和45年(1970年)11月です。
山形に村山市があったため、公募で武蔵村山市という名前になりました
このときも北多摩郡の最後まで残った町・・ということです。
たぶん、武蔵村山の人は のんびりしているんですね
住所を書く時でも、「立川」は8画なのに、「武蔵村山」は33画もあります。
ひとつの書類に何か所か住所を書かないといけない時に
書き損じたりすると ついイラッとしてしまうのは
まだまだ、村山人としての自覚ができていないってことですね・・
明日から もっと のんびりしなくっちゃ・・・