絶不調

入れ歯なしで暮らしていたせいか

帰国数日前から なんとなくお腹の調子が良くなく、

(お酒の飲みすぎという声もあります)

昨日の夜からは 本格的な下痢になりました。

 

ということで、今日は何の作業もなしです

 

一応 歯医者に無理矢理予約を入れて

入れ歯の調整をしてもらいました。

昨日は一口も噛めなかったのが、

今日の夕飯は3分くらい平気です。

ただ、左の痛みが減った分

かわりに右側に負担がかかっているみたいで

3分もすると 右も左も痛くなってきました

 

家の外にはアルがいて

帰って来た こっちを見つけると

一目散に玄関まで走ってきました。

 

帰国してからは 姿が見えなくなると不安になるみたいで

トイレに入ると ドアの外で鳴きます。

 

寝ていれば お腹の上に乗ってくるし

座っていると すぐ膝の上に来るのですけど

この子は 爪を出さずに乗るということを知らず とても痛いのです

本人も あちこちに爪をひっかけるので

今日 爪を切ってあげることにしました

 

ただ、この子は爪を切られるのが大嫌いなので、

すぐに噛み付いて来ます

結局 5回くらい嚙まれて 3本しか切れなかったのですが

そのあとは 爪切りさえ そばに置いておけば

近寄ってこなくなりました

魔除けならぬ アルよけですね

ワインとビールの試飲

日本に帰ってきて まず最初にしたことは

歯医者の予約です。

実は、むこうでの滞在中に

ワインやビールの醸造所に行って試飲を楽しもうとしたら、

なんと、酔っぱらって

舌の裏の皮膚を入れ歯の金具に挟んでしまい、

あわてて無理やり取ろうとしたら

入れ歯は変形するし、皮膚は破けるし、

歯茎もかなりダメージを受けて

結局 入れ歯なしの生活だったのです。

 

そのとき試飲した場所は レドモンドのすぐ北にある

ウッディンビルという場所です。

てっきり、ブドウを育てている場所で

試飲もできると思っていたら

ワシントンワインの多くは

山を挟んだ反対側、コロンビアバレーのほうで作られていて

このベントンシティーの東側にあるワイン畑レッドマウンテンで

ブドウを育てている30くらいのワイナリーが

共同でウッディンビルに 試飲できるワイン村を開設していたんです

駐車場を真ん中に置いて、反対側もこんなかんじです

でも、一人20ドルの試飲だけだと ほとんどお客は来ないみたいで

ここなんか すし店になっていました

ワイン村なのに キリンの看板です。

全部を試飲するわけにはいかないので

口コミを調べて 一番評価の高い店に入り

おすすめの4種類を試飲しました

丸いサインのものは、このワイナリーの畑のぶどうを使ったもので

横棒のものは レッドマウンテンのいくつかの農場が

いいものを出し合って 共同で作った最高のワインなんだそうです

 

飲んでいるうちに 話が盛り上がって

いちばん高いワインと 中くらいのワイン

シアトルのスーパーで美味しいと言われている普通のワインに

日本での輸入格安ワインの飲み比べ大会を

カフェでしたらどうかということになりました。

全部当てた人には 豪華賞品です。

参加費はいくらにしたらいいかなあ

なんて話しているうち つい

横棒の高いワインと中くらいのワインを買ってしまったんですね

でも、このワインを前に 家に帰ってよく考えたら

車の人は 誰もイベントに参加できません。

なので、イベントはいまのところ保留です。

 

で、このあとビールの醸造所に行って

試飲を待っている間にゲームをし

試飲が出てきたところで

テイスティングしたら

先ほどの悲劇になってしまったのです

 

今日 歯医者に行って調整してもらったら

はめている分には痛くないのですけど、

噛むとやっぱり痛いという状態で

やっぱり歯茎の回復を待つしかないみたいです

 

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畑の様子を見て来ました。

昨日は雨がいっぱい降ったみたいで

入り口がすごいことになっていました

風も強かったみたいで

ここなんか もう少しでビニールが飛んでいくところでした

ビニールを押さえていた止め金具は みんな放り出されています

今度 留守にする時は

金具を倍以上にしないといけませんね

 

一応 自分の家用にちょっとだけ収穫しました

もう 菜の花が咲きだしています

無事帰国

今朝、現地時間の15日11時に

雨のシアトル空港を離陸して

羽田に着いたのは16日の午後3時。

時差のせいとは わかっていても

なんか一日損した気分です。

 

アメリカにいるときは 

餅つきのイベントや スーパーやお店の中

パイクプレイスなどの観光地でも

数パーセントの人がマスクをしているだけなので

結局 一度もマスクをしなかったのですけど、

帰りの飛行機で、羽田に着く一時間前に

「日本ではマスクの着用が必要なので

持っていない人には これからマスクを配ります」

というアナウンスが流れました。

さっそく配ってもらったマスクをつけて飛行機を降りたら

空港では100%の人がマスクをしていて、

日本に帰って来たという実感が 本当にわきました。

 

行きに羽田まで送ってくれた友人が

羽田まで迎えに行ってもいいよ と連絡をくれ

(なんていい友人なんでしょう。)

それは あまりに申し訳ないので

立川までリムジンバスで行き、

(一人1600円でした)

パレスホテルまで迎えに来てもらいました。

 

家に着いたら

ちゃんとアルが迎えに来てくれて

サンは階段までお出迎えです

ねこが膝の上に乗っていると

本当に家に帰って来たという実感がわきますね 

ソックス

娘たちの家にはソックスという猫がいます

毛は短いダークグレイで首の下と足の先が白く

足の裏はとてもきれいなピンクです

娘の連れ合いのおばあちゃんが子猫を2匹保護したら

2匹とも妊娠していて、たくさん生まれてしまったので

そのうちの一匹を引き取ることになったのだとか。

 

目つきは うちのアルみたいにとても悪くなる時があるのですが

性格はアルよりもおとなしく爪は出しません

孫娘は寝るときに ソックスにもちゃんとハグをしていました。

 

で、この猫ですが 夜中にドアの外で鳴きます

初日は4時に鳴き、次は5時 今朝は6時

絶対 部屋に入れないでねという厳命が出ているので

あきらめるまで寝たふり。

孫娘も 広い部屋で一人で寝かされていますし

アメリカではそれぞれ自立して生きていくんですね

 

旅行に出るとき、見送りに来てくれた

日本の猫たちは いつも夜一緒に寝ています

ドアを閉めていると、開けるまで鳴きやみません

いないあいだ どうしているかなあ

 

ソックスは窓の外にカケスの集団が来たりすると

とても外に出たがります

 

でも、一度外に出ると なかなか入ってきません

ソックスは入るときに 足を拭かれるのが

大嫌いなんです

 

 

 

レドモンドの図書館

住宅街の西のはずれに川があります

先日はここを右に曲がって

ブラックベリーだらけの道を散歩しました

一昨日、ここを左に曲がって図書館に行くことにしたら

こちらは いたるところクランベリーだらけです

川の途中に看板があったので 読んでみたら

この川は昔二つの湖の間を曲がりくねって流れ、

とてもたくさんの生物のゆりかごになっていたそうです

それを1960年代に 軍隊がまっすぐにして土手もなくしてしまったのだとか。

たびたびの氾濫に 農家が困っていたのが理由らしいです。

でも、そのおかげで 食べ物がなくなり動物が消え

熱を遮る植生もなくなったため、水温が高くなって

多くの水生生物も消えてしまったんですって。

 

そこで この川の再生プロジェクトにみんなで取り組み

まずは氾濫に配慮しながら、土手を復活させ

動物たちが好む木をいろいろ植えていったそうです

ブラックベリークランベリーが密集しているのはそのせいなんですね

 

いま 川にはカモなどがいっぱいいて

手を出すと寄ってきます

まだ川が豊かでないのか 食い意地が張っているだけなのか

よくわかりません。

 

10分ほど歩いたところで モグラ塚がいっぱいある原っぱ?に着き

その左側にシティーホールがありました

駐車場を横目に

東側にある図書館に行ってみると

入り口を入った左側の集会室では

裁判所のイベントがあるらしく

入る人は全員ボディーチェックを受けていました。

 

図書館は、立川市の中央図書館をフラットにして

効率よく並べ、だいぶスリムにしたかんじでしょうか

やはり1フロアーって偉大ですね

 

海外の絵本コーナーには 日本語の本が100冊くらいありました。

一番多いのはスペイン語の本で、次が中国語、ロシア語です

住んでいる住民の割合でしょうか

10数か国語の絵本の中で日本は7番目くらい。

でも、雑誌の場所には「こどものとも」が置いてありました

この図書館はガラス張りの場所と

レンガ造りの場所が交互にあって

(この右側にももうひとつレンガ造りの建物が続いています)

その境目には 石像が3か所 立っていました

たぶんそれぞれに謂われがあるのでしょうけど、それはまた次回

 

帰り道 あのカモたちは

道まで出て 人を追いかけてきました。

やっぱりおなかが空いているのかもしれませんね





 

ボーイング航空博物館

 

今日は朝から雨です

そこで、シアトルの南にあるボーイングの航空博物館に

行ってみることにしました。

シアトルはボーイングの発祥の地で、

今でも大きな工場があって、そのそばに博物館が併設されているのです

 

片側5車線という広い道を 南に向かって進んでいたら

反対側が渋滞していて、一番左の車線だけスイスイ流れていました。

不思議に思って聞いてみたら、

シアトルでは、一番左の車線は

バスと、二人以上乗っている車だけの優先道路なんだそうです

いままで、娘たちが混んでいるとすぐ

左の車線に入って追い越していた謎が解けました

5人乗っているので、大手を振って通れるんですね

 

ボーイングの航空博物館に着いて

ロビーに入り 入館料を払ってから

いろいろな飛行機を見学です

これは 初期の郵便を運ぶ飛行機で

当時はナビどころか 計器類自体がほとんどなかったため、

地上の牧場や川、建物などを目安にしながら

助手が身を乗り出して

まっすぐ とか ちょっと右とか指図したそうです

で、目印を見失って どう飛んだらいいかわからなくなり

郵便物が届かないということも よくあったんだとか。

 

ライト兄弟リンドバーグの飛行機の模型もありました

今話題の無人機も 小さなものから巨大なものまで展示されています

会場の一角にはベトナム戦争についてのパネルがいっぱいありましたが

なにが書かれているかは 見ていません

なんといっても 孫娘がキッズスペースで待っているのです

ボーイングの歴史の部屋をざっと見て

この2階もざっと見て

ウォルト ディズニーの戦争プロパガンダ特集もざっと見て 

一度昼食休憩をしてから

第一次大戦と第二次大戦を特集するウィングの1階と2階です

ここには、飛行機が戦争に活用され始めたときからの

戦闘機の歴史が詰まっていて、

この機の性能はこうで、対抗した戦闘機はこうで

お互いの技術革新によって どう力関係が変化したかといった

情報がいっぱい書かれているみたいです。

日本の中島飛行機が作った隼もありました

零戦の一年前の型で、性能はこう、ゼロ戦との違いはこう

といった説明がありました。

 

大急ぎで回ったのに もう4時です。

 

娘たちと合流したら、○○ブリッジのむこうには行った?

と聞かれました。

なんでも 歴代の旅客機やコンコルド

大統領専用機のエアフォースワン、B29爆撃機など

大型のものが 屋外展示場にずらっと並んでいて、

エアフォースワンなどは中も見学できたんですって。

レストルームの横にはNASAアポロ計画のコーナーもあったみたいです

 

とても、ちょっと行ってみるレベルで制覇できる

博物館ではありませんでした。

シアトルのゴミ事情

こちらに来てから ずっと雨模様です。といっても 一日中降るわけでもなく

合間には散歩や買い物ができるのですが、

昨日今日は 雨が夜中に降ってくれ、日中はよく晴れて暑いくらいでした。

 

シアトルは寒いと思って持ってきた、

厚手のセーターや靴下、タイツ、手袋などは

スーツケースのクッション材のまま終わりそうです

 

で、今日は シアトルのスペースニードルのとなりにある

公園で 娘たちの友達と待ち合わせ、

しばらく遊んだ後

パイクプレースで クラムチャウダーを食べることになりました

この公園にはカモメがいっぱいいて

以前 スペースニードル側の公園でお昼を食べたとき

弟が昼食をカモメに持っていかれたことを思い出しました。

 

久々の パイクプレースです。

スタバの一号店には 数は少ないものの行列ができています

チャウダーのお店も少しだけ行列

このメニューの中から

右下の8種類食べくらべを選んで

(真ん中にあるのはサービスのパンやクラッカー)

ピザと一緒に食べました。とてもおいしかったです

孫娘は このサービスのオイスタークラッカーが気に入って

食べようとすると怒られました 

どんな味なのかなあ

 

食べている横には こんな鳥がいました

みんなが食べ終わると パンくずなどを拾いにやってきます

アメリカのムクドリらしいですが

こちらのムクドリは 全然人を恐れていません

一応、足元には鳩もいました

家に戻ったら

ゴミの缶がいっぱい 歩道に残っていました

 

こちらでのごみの収集は 週に一回だけで

肥料になる灰色の缶(無料)と

リサイクルできる青い缶(無料)と

それ以外の缶(有料)があって

毎週 水曜日の朝に みんなガレージの中からゴミの缶を

通りに出しておくんだそうです

ただ、収集するトラックが違うので

緑の缶を収集に来るのは 一番最後ということでした。

 

料金は ゴミの缶の大きさによって決まるらしいです

 

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シアトルには ゴミを焼却するという発想はないらしく

この緑の缶の中身は どうも全部埋められているみたいです

たしかに 周辺にいくらでも埋め立てできる場所はありそうですけど

本当にいいのかなあ

 

 

 

毎日 鳥の群れ

レドモンドに着いた1月6日、

いくつかの家には クリスマスデコレーションがありました

最初は 日本の松の内みたいなものかな

と思っていたのですけど

よく考えたら、ユリウス暦だと

今年は1月7日がクリスマスでした。

なので、こういうデコレーションをしている家は

ロシアやセルビアジョージアなど、

ユリウス暦の影響がある国と関りが深いのかもしれませんね。

 

今日は 半分以上のデコレーションが片付けられていましたが

まだ メリークリスマスという看板を飾っている家もあります

こちらはたぶん クリスマスの松の内なんですね

 

順番が逆になりますが、今日の夕方は夕焼けがとてもきれいでした

奥の一軒はまだクリスマスモードです

 

で、今朝外に出たら 空からミャオミャオという声がして

鳥の群れが飛んできました

群れは第二波、第三波とやってきて

みんなミャオミャオ

まだまだやってきて

全部で9つの群れが通り過ぎていきました

なんの鳥でしょう?

娘に聞いたら ガチョウ ということですが

ガチョウって、空をこんなふうに飛ぶもの?

 

窓の外をリスが走っています

リスはなにげに素早くって なかなかうまく写真が撮れません

これは 屋根に上ってしまった時の写真です

こっちにいるあいだに ちゃんとした写真、撮れるかなあ

レドモンドの住宅

レドモンドの娘たちの家は、

サマミッシュ川沿いに開発された住宅街の中にあります

 

単独ではなく基本4軒がくっついていて

どの家にも 道に面して12畳ほどの車庫がついています

塀はなく、家の列のあいだには草地や樹木が育っていて

ちょっと別荘地みたいでした。

管理は全部 管理組合がしてくれるらしく

家の前で自分で何かを育てたい庭には

こんな立札が立っていました

電線は一本もありません

リスは3回見かけました。

 

孫娘を保育園に預けた後

住宅の西側にある川沿いを散歩したら

いたるところブラックベリーだらけです

実は干からびていますが、葉っぱはまだ元気なので

シアトル、やっぱり東京より暖かいみたいです。

 

川から逸れて ほかの道を行くことにしたら

入り口に こんな立札がありました

上の黄色いサインの意味は、

自転車より人が優先で

人より馬が優先なんだそうです

途中で道路を横切るときは、サインの後ろにポールがあって

その一番上に 横断歩道の押しボタンがありました

この先は 高圧電線の下を行く道で

途中には犬用のエチケット袋とゴミ箱がありました

さすがシアトルです

エチケット袋なら

万が一落としても 誰かに拾ってもらえますものね

(エチケット袋を持って歩いている写真です)

 

 

 

 

ベインブリッジ島のもちつき大会

シアトルの西側は海です

海と言っても、広大なオリンピック半島バンクーバー島によって

太平洋の荒波から遮られているため、静かな湖のようなかんじです。

 

対岸にあるのは ベインブリッジ島

そこで「もちつき」のイベントがあるというので

カーフェリーに乗って出かけました。

ベインブリッジ島に着いてから

向かった先は 島の中学校です

毎年2000人くらい集まるらしく、

着いたときはまだ駐車場が空いていたのに

帰りには道路まであふれていました。

 

配られたおもちを

ちぎって丸めて 中にあんこを入れて 自分で食べられるコーナーもあれば、 

スタッフが いろいろなお餅を作っているコーナーもありました

そのおもちは 外の雨の中で子どもたちがついたものです

イベント会場の入り口には パネルが展示してありました

第二次世界大戦の際、強制隔離された日系人の歴史パネルです

先の大戦では、日系人11万人くらいが強制隔離され

シアトル周辺からも1万人くらいが 遠く離れた過疎地の収容所に送られました

ここベインブリッジ島に住んでいた日系人たちも

全員強制移動、収容生活を送られたそうです

置かれていたパンフレットには、

Let It Not Happen Again

と書いてありました。

Nidoto Nai Yoni

という副題があります。

 

「餅つき大会」と聞いて、児童館がやるみたいなもの?

と、軽く考えていたのを反省しました。

 

記憶を風化させないことや 日本を主張しながらも

親睦を深めていくということは、

アイデンティティーとしても とても大事なんですね

 

体育館では、太鼓の演奏?がありました

いろいろなパターンのあとで ソーラン節になり

最後は獅子舞でした

確かに 日本です

 

日本を象徴する「おりがみ」のコーナーでは

孫娘がどんなものも

ボールに変える特技を発揮していました